世の中には、法律や規則には書かれていないものの、いつの間にか「そうするものだ」と考えられている決まりがあります。いわゆる「不文律」です。不文律には、長い年月の中で培われてきた知恵や礼儀もあります。先輩を敬う、相手の立場を考える、困っている人がいれば助ける――こうしたものは、文章に書かれていなくても、社会を支えてきた大切な価値観でしょう。しかし、その一方で、時代が変わったにもかかわらず、昔のまま残っている不文律もあります。
例えば、「若い人はまず先輩の言うことを聞くものだ」「上司より先に帰ってはいけない」「仕事は背中を見て覚えるものだ」「電話は若手が取るものだ」といった職場の慣習です。かつては、それなりの合理性があったのかもしれません。しかし、働き方や人間関係が大きく変わった現在、それらを当然のこととして押し付ければ、若い世代からは「なぜ、そうしなければならないのか」と疑問を持たれることになります。特に気になるのは、「昔からそうしてきた」という言葉です。この言葉は便利な反面、非常に危険でもあります。なぜなら、「昔から続いていること」と「今も必要なこと」は、必ずしも同じではないからです。
社会は変化しています。家族の形も変わり、働く人の価値観も変わりました。デジタル化が進み、仕事の進め方も大きく変わっています。かつては長時間職場にいることが仕事への責任感の表れだった時代もありましたが、現在では限られた時間の中で、いかに成果を上げるかが問われます。福祉の現場も例外ではありません。高齢者介護や保育の仕事は、人と人との関わりが中心です。そのため、経験や先輩から受け継ぐ知恵は非常に重要です。しかし、「経験者の言うことだから正しい」と考えてしまえば、新しい発想が入り込む余地がなくなります。
むしろ、若い職員から「このやり方は、今の時代に合っているのでしょうか」と問い掛けてもらうことが大切なのではないでしょうか。伝統を守ることと、古い習慣をそのまま残すことは違います。守るべきものは守る。しかし、変えるべきものは変える。その判断には、時代を見る目が必要です。不文律というものは、明文化されていないだけに、かえって見直しにくいものです。「誰も決めていないのに、誰も変えられない」という不思議な状態が生まれます。だからこそ、ときには「これは、なぜ続いているのだろう」と立ち止まって考えてみる必要があります。
もちろん、何でも新しくすればよいというものでもありません。挨拶をする。約束を守る。相手を敬う。困っている人を助ける。責任を持って仕事をする。こうしたものまで「古い考え」として捨ててしまえば、社会はかえって息苦しくなるでしょう。大切なのは、形ではなく、その根にある意味を考えることです。「上司より先に帰ってはいけない」という慣習があったとしても、その根に「仕事への責任を果たす」という考えがあるのであれば、残すべきなのは責任感であって、「上司より後に帰る」という行為そのものではありません。
「若者は先輩に従う」という考えも同じです。残すべきなのは、先輩への敬意であって、若い人の意見を封じることではありません。時代が変われば、同じ価値を実現する方法も変わります。私は、これからの組織に必要なのは、「昔はどうだったか」だけではなく、「今、本当に必要なのか」と問い直す姿勢だと思います。長く続いているものには、それなりの理由があります。しかし、長く続いていること自体が、正しさの証明になるわけではありません。不文律を一つひとつ見直してみる。その作業は、過去を否定することではありません。むしろ、先人たちが大切にしてきたものの中から、本当に次の時代へ残すべきものを選び取る作業なのではないでしょうか。
「昔からこうだから」ではなく、「これからも必要だから」。そんな理由で受け継がれていくものこそ、本当の意味での伝統なのだと思います。時代が変わるからこそ、変えてはいけないものが見えてくる。そして、変えるべきものを変える勇気もまた、組織を次の時代へつなぐために必要なものなのです。

