大学を卒業し、歯科医師免許を取得した私は、故郷へ戻り、地域の歯科医療を担うことになるものと思っていました。
しかし、人生は必ずしも自分が思い描いた道のとおりには進みません。
私は、父が理事長を務める学校法人に入職することになりました。そこでは、歯科衛生士、歯科技工士、介護福祉士、社会福祉士など、医療・福祉の専門職を養成する専修学校を運営していました。歯科医師として臨床の世界に進むのではなく、私は教育と学校法人の運営という、いわば「異業種」の世界に足を踏み入れることになったのです。
もちろん授業も担当しましたが、仕事は教壇に立つことだけではありませんでした。就業規則、給与規定、寄附行為……。それまで馴染みのなかった規程や文書と向き合い、毎日のように活字との闘いが始まりました。ビジネス文書の作成、講師の依頼や交渉、学生の問題への対応まで、学校を運営するということが、単に教育をすることではないことを身をもって学びました。
そして、専門学校を新たに設立する仕事にも携わることになりました。平成9年、私は設立準備室長の名刺を持たされ、長崎県諫早市に介護福祉士養成校を設立する仕事に関わりました。当時、私はまだ30歳。専任教員の採用、非常勤講師の依頼、実習施設の確保、設置認可申請書の作成など、やらなければならないことは山積でした。
非常勤講師や介護実習の依頼に行くと「一切協力しない」と吐き捨てられ、ある方からは、「他校の学生が減る」など驚くような言葉をいただくこともありました。
「本当にこれで学校をつくることができるのか」と自問しながら、それでも一つひとつ課題をクリアし、設立に向けて奔走しました。振り返れば、あの時の経験が、その後の私の人生に大きな意味を持っていたと思います。
学校をつくるということは、建物を建てることでも、書類を整えることでもありません。教員を集め、学生を迎え、実習先や地域の協力を得て、行政の理解を得ながら、多くの人の力を一つにして初めて成り立つものです。その後、学校法人は平成15年には鍼灸師科を設立。平成17年には歯科衛生士科を3年制へ移行し、平成20年には柔道整復師科、平成22年には看護師科を順次設立しました。
その歩みの一つひとつに、多くの方々との出会いと協力がありました。私自身も、学校運営の現場でさまざまな人と出会い、時には厳しく叱られ、時には支えていただきながら、少しずつ経営というものを学んでいきました。
長年にわたり、私は副校長、そして学校法人の常務理事を務めましたが、令和4年12月31日、父が他界しましたが、翌令和5年1月の理事会において、私は理事長に指名されました。父が歯科衛生士養成学校を創設してから、実に55年。創設者である父から私への理事長交代でした。
今思えば、「異業種へ」と飛び込んだことで、私は歯科医療だけでは得ることのできなかった多くの経験を積むことができました。そして、教育、医療、福祉という、人を支える仕事の共通点にも気づかされました。それは、どの仕事も最後は「人」に行き着くということです。
学生を育てることも、職員を支えることも、地域の医療や福祉を守ることも、一人の力では成し遂げられません。多くの人との出会い、協力、信頼の積み重ねがあってこそ、組織は歩み続けることができます。
今、私は理事長として組織の未来を考える立場になりました。これまで出会った人々への感謝を忘れず、父から受け継いだものを大切にしながら、時代の変化にも柔軟に対応していく。そして次の世代へ、より良い形でバトンを渡していく。
それが、今の私に与えられた責任なのだと思っています。

